前回は、私が高知で中学受験を経験したこと、算数ができなかったこと、それゆえ教えることができないため、息子について塾なしは考えていなかったことについて書きました。
それを踏まえて今回は、そんな私が息子の中学受験を全面的に見る気になった理由について書いていきます。
中学受験の算数をやってみた
息子が小学生になって算数の先取りが順調に進んでいくと、これなら4年生での入塾前に、少し受験の先取りもできるかな、と思うようになりました。そのときに全然教えられないのではいけないと思ったので、数十年ぶりに中学受験の算数をやってみました。苦手だったとは言え、特殊算の基礎くらいはできるものもあるだろう、と気楽に臨みました。
するとどうでしょう。予想に反してできるできる。普通の特殊算ができるのは当然として、その応用問題もどんどん解けました。それどころか、当時から今に至るまで主流の思考系難問まで、ほぼ解けない問題がないと言っていいくらいできました。難関校の問題も含めてです。
しかも解けるだけではなく楽しいのです。結論を導き出すために論理を積み重ねていく過程。条件を整理して何を求めていくかを推理すること。考えている途中にパッとひらめく快感。それら全てが楽しかったのです。算数の面白さに今更ながら目覚めました。(ただし、時間はかかることがありました。制限時間のある受験生は本当に大変です。でもそれは、教える分には問題になりません。)
元々パズルは結構好きでした。数独、カックロ、スリザーリンクなど、ニコリのパズルを趣味でよくやっていました。でも、それらでは得られなかった、頭を使ったという感覚がとても心地良かったです。
それで気がつきました。どうやら自分は算数が苦手ではなかったことに。
親が子に与える影響は大きい
私の中学受験時代からここに至るまでにずっと算数が苦手だと思ってきたことには、いくつもの理由が重なっていました。中学受験に数ヶ月遅れて参戦したこと。勉強が好きではなかったこと。私の父親から算数を苦手と認定され、それ以降悪い点でもあきらめてもらえたこと。その父親の学生時代に数学が苦手だったこと。時代的に私立文系専願が恥ずかしくなかったこと。それら様々な要因が絡みあってのことでした。
歴史にifはありませんが、もしもあの時、算数が苦手と決めつけられなければ、人生は違うものになっていたでしょう。断っておきますが、私は今の人生に不満があるわけではありません。そのため、親を恨んだりとかいう気はさらさらないです。育ててもらった両親には感謝しかありません。ただ、客観的に見ると違う人生になっただろう、というだけの話です。
しかし、親が子の人生に与える影響は本当に大きいと感じました。私も肝に銘じなければと改めて思ったものでした。(この話を進めていくと脱線しすぎるので、また別の機会を作ります。)
頭が良くなるのは考えているとき
どうして算数ができるようになったのでしょう。
ちょうどそのころに読んでいた書籍に、宮本哲也氏の「強育論」があります。宮本先生は当時横浜で算数教室をされており、無試験先着順の入塾で首都圏トップ校進学率85%という実績が本の帯に書かれていました。その本は出版後10年以上経ちますが、改めて読み返してみると、 真理は色褪せないのか、今でも十分に通用します。ずいぶんこの本から影響を受けているんだなと実感します。
参考URL:http://www.miyamoto-mathematics.com/?page_id=2173
その本の中で一番印象に残っているのは、考えることで頭が良くなるという主張です。もう少し詳しく言うと、頭が良くなるのは正に考えている最中で、その時に考えている問題が解けなかったとしても構わない、と言うものです。この話を読んだときの衝撃は忘れられません。
この説が正しいなら、逆に、考える力が付いた大人なら、その気になれば算数の問題くらい解ける、ということが言えると思うのです。私は一応、大人になる課程で、そして大人になってからこれまでに、それなりに頭を使って考えてきたと自負しています。だからこそ、苦手だったはずの算数問題が解けるようになったと考えられます。
それならば、教育において大事なことは、頭を使わせることである、ということになります。頭を使っていれば、私のように、特殊算の個別の解き方などを覚えていなくとも、基本の応用で解けるはずなのです。そもそも小学校の算数なんて、中学受験の範囲であっても、四則演算と割合の考えと、ほんの少しの公式(図形など)を知っていれば解けるようになっているのですから。気が遠くなるほどたくさんの問題をこなすよりも、ちょっと難しいくらいの適切な問題を時間をかけて考えれば、土台のある学力がつけられるというわけです。
そこで思い浮かんだのは高校の時の話です。私の学年よりも少し上に、大層成績の良い先輩がいたそうです。その先輩は数学がとても良くできたそうです。しかし選んだ進路は文系でした。そこで先生が、せっかく数学できるのにもったいない、理系でやりたいことはないのか、と聞いたそうです。
その答えは、
大変な思いで数学ができるようになった。
何冊もの問題集の解き方を必死で全部覚えた。
元々数学には向いていない。
というものでした。私も当時は、数学ってそういうものだと思っていたのでしょう。さほどピンとこなかったんですが、その意味がいい歳になってやっとわかりました。
できないならできないなりの努力することは必要です。だからその先輩の努力には頭が下がります。気が遠くなる量の問題を覚えるうちに、数学の考え方もたくさん身についたことでしょう。しかし、それは真に学力が養われたとは言えません。おそらく、じっくり考える前に答えを見て覚えたことが多いと思われます。そのやり方では、数学ができるようになるには途方もない時間がかかることになります。そうならないためにも、じっくり考える癖を小さい頃から付けておくべきです。
生きる力をつける
また、その当時、こんな話も耳にしました。最近の若者は指示を受けたことは実に見事にこなすが、自分で課題を見つけられない。大学の卒論でもテーマをもらわないと見つけられない。社会人となってもアイデアが出せない。というような話です。
そのとき私は思いました。これは小学生の時からずっと塾漬けできた弊害なのではないかと。
高校までは塾の言うとおりにやっていれば大丈夫です。しかし大学から社会へと進んでいくと、いつまでも塾はありません。スキルアップ、キャリアアップのセミナーはあります。そういうところで自分を磨くのはよいですが、何でもかんでも指示してくれはしません。仮に指示があるとしても、そればかり当てにしているようでは成功は見込めません。これからは自分で課題を見つけ、それを処理していく能力が必要だと感じました。それこそが生きる力だと思います。
そのためには、思い切って塾に通わせず、自分の頭を使って考え抜く練習をしておいた方が良いという結論に達しました。確信は持てませんでしたが、生きる力を付けるには最善であろうと考えました。妻は反対でしたが、全く実力が付かなかったら即塾に入れるという条件で発進したのでした。
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