「息子さん、よく親の言うことを聞いたね。」
「親が教えるとけんかにならない?」
といったようなことを、妻がよく言われるそうです。親が子供に教えることを難しいと思っていることがよくわかります。たとえ親子仲が良くとも教えるとなると上下の関係になりがちでしょうし、それが嫌で教育は外注という人もいると思います。
きっちり上下のけじめをつけてやるタイプ、仲良し親子で和気藹々とやるタイプ、どちらにしても親子の信頼関係が上手く行っていないと、塾なしは機能しないでしょう。
そこで今回は我が家での親子関係についてお話ししたいと思います。大学も夏休みに入り息子に話を聞く機会も増えたので、インタビューしたことも記事に反映させていきます。
インデックス
親子の関係
どんな父親だったか
子供には負けないという気概を持つこと
規範になろうとする気持ちを忘れない
成績を良くしてやること
親子の関係
どんな父親だったか
息子によると私は怖い親だそうです。数えるほどですが手を上げたときのことをよく覚えているからだと言います。迷子になってしばらくしてうろうろしているところをやっとのことで見つけたときにげんこつを食らわせたことがあるのです。
関空から旅行に行く前に、妻らと離れて私と息子だけでJRと南海の電車を見に行こうとしました。息子は電車好きですから。初めてで不案内だったので、ちょっと見てくるから待ってて、と走って確かめに行き、すぐ引き返すと息子がいません。30秒も経っていないのにですよ。普段は待っていろと言うとおとなしく待っている息子がです!
これは焦りました。知らない場所で、しかも飛行機の時間も迫っています。誰かについて行ったんじゃないかと不安にもなりました。まだ3歳になったばかりで、知らない人についていってはいけないよ、とか教えてなかった、しまった〜とか思いながら、名前を呼びながら走り回っていると、脳天気な顔をして歩いている息子を発見。こっちは大変な思いで探しているのに、ポーッとした平和そうな顔が何だかとても腹が立って頭をぶん殴ってしまいました。叩かれて泣く息子を見ていた通りすがりの人に「かわいそう」と言われたのを覚えています。こっちがかわいそうだよ、と思いながらいなくなった理由を聞くと、母親がすぐ近くにいると思って移動したとのこと。あの短時間ですから、私が走っていくのとほぼ同時に反対の方へ動いたことになります。いなくなったのは5分くらいだったと思います。えらく長く感じられました。子供から目を離すことは本当に怖いものです。
そのときに殴られたことがトラウマになっていると言います。のちに考えると、親に非があるにも関わらず手を上げたのは悪かったなと反省しています。
ただこれが良い方に作用したのか、私に反抗したり親子ゲンカになったときでも、最後の最後は息子が折れます。最終的には言うことを聞かないといけないと思っているようです。もちろん息子に理があれば私が折れますよ。自由に議論を戦わせるということも大事にしてきましたから。絶対的に支配するということは望んでおらず、話し合いが家族の大きな柱です。だから私を論破できるくらいの論理を持ってくれば反対はできません。逆に言えば言い負かせないようならば、最後の決定は私がするという関係でした。
とは言っても、基本的には息子がしたいことに反対しません。「かわいい子には旅をさせよ」のことわざの通り、何でもやってみて経験しろ、というのが私の方針です。人様にご迷惑をかけない限りにおいて、大概のことは許してきました。例えば車の運転です。比較的すぐに1人で出かけることを許しました。(地方では当たり前かもしれませんが。)だいぶ経験も積んだので、友達とドライブに行くこともあります。初心者が運転すること自体が多少迷惑になりますが、初心者マークをつけてない下手なペーパードライバーよりは迷惑ではありません。
息子から見た父親としての私をまとめると、理不尽なことで腹を立てるし怒鳴るし、決して立派な父親像ではありません。(今ならアンガーマネジメントで6秒間待つので、怒鳴ることは減ったはず。)一方で物わかりの良い何でも話せる、という評価でした。本当に怖かったらにこにこと怖いとは言わないでしょうから、まあまあ良い関係と言えるでしょう。暴力が怪我の功名となり、上下の関係はハッキリしていたので勉強を教える上では役に立ちました。ただし、これはラッキーだっただけで真似してはいけないものです。
どんな母親だったか
妻の方針は、愛されているという自覚を息子に与えることでした。誰かから愛されているということが自信になり、それが人格の土台となって下支えをするという考えを持っています。その実践が「大好きだよ。」と声かけすることです。赤ちゃんの頃からずっと言い続けてきました。今でも言うので、見ている方はちょっと気持ち悪いですけれども、あれだけ言葉にして安心感がないはずがありません。間違いなく良い効果はあるのでしょう。
そのような声かけを大事にしている割には、甘い母親ではありません。やや過保護気味で、危ないことは絶対反対という立場です。前述の車の運転でも妻は反対しています。これは数の論理で押し切られましたが、病気(息子の持病)については絶対に譲りません。そこまでしなくてもいいんじゃないのということでも、ダメなものはダメと言って押し切ります。ここはポリシーの違いなので、私が折れるしかありません。どちらの意見が通るかは場合場合によるので、バランスは取れているのではないでしょうか。
鮮明に対立したのは、私が息子の将来について、好きな職に就いてほしいと考えていたのに対し、妻は医者になってほしい願望を隠さなかったことです。(妻は医者の娘です。)
親が医者の場合、特に考えもせずに医学部を目指すことも多いので、必ずしも悪いことではないのでしょう。でも私は自分の意志で決めてもらいたかったので、これからは医者も大変、バラ色じゃない、きつい仕事だなどと、冷静な目で見られるように言ってきました。それは妻からすると反対勢力なわけで、当然対立することになりました。
息子が何であれやりたいことを見つけてきたら、絶対にその道に進ませてやろうと思っていましたが、結果的にそこまでのものは見つからず、私が否定的なことを言ってきたにも関わらず医者という職業に興味があったようなので、最終的に医学部に進むことになりました。最後は自ら選んだので、決断後は私も応援する方に転じました。
息子は自分の母親について、ちょっとキツいことでも言える存在としてとらえていると思います。私では怖いので、八つ当たりなどは妻の方にすることになっています。面倒な役をさせることになって私としては申し訳ないですが、妻は「何を言っても嫌われない自信があるからこそ暴言も吐けるんだ。」と、自分の実践してきた言葉掛けの成果ととらえています。おかげで息子もイライラがたまらずにやれたのだろうと思うと、感謝しかないですね。
どんな息子だったか
息子はそんなに丈夫な方じゃなかったので、そのあたりの苦労はありました。特に妻にとっては悩みの種だったと思います。ヤブ医者から息子の命を救ったこともあり、その点でも母親として大きな役割を果たしたと思います。
体のこと以外は、多分育てやすい部類に入る子だったと思います。規律正しいことが好きで、宿題は言わなくても自分でやりましたし、見てやらなくても忘れ物をしなかったです。自分の子供時代を考えても、これは恵まれていたんだな、と思わざるを得ません。
規律が好きなので、秩序を乱す存在は嫌いでした。クラスのいわゆる暴れん坊連中のことは冷めた目で見ていたようです。良かったことは、その暴れん坊達からゲーム好きになっていくことが多いので、ゲームをやることは何となく良くなさそうだと思ってくれたことです。ゲームをやらせない方針だった我が家にとっては助かりました。
息子に勉強を教えるに当たり、特にトラブルもなくやれましたが、その性格に多少助けられた面はあるでしょう。しかしどちらかといえば、家庭環境を整えた方が大きいと思っています。幼少時から知的活動を重視してコツコツといろんな体験をさせ、勉強ができなくても決して叱らずに育ててきた成果もあったはずです。勉強が大事だということは骨の髄まで染み込ませられれば、息子がどんな性格でも同じようなことは可能だったと考えています。
息子の良かった面を挙げましたが、それは反面では面倒なところになります。規律が好きなので、まじめにやらないことを嫌います。小学校で暴れん坊集団を冷ややかに見ていましたが、中学でも高校でも、そして大学でも、不真面目を売り物にするというか、ややアウトロー気取りの集団に対し相変わらず冷めた目を向けているようなのです。
中高はともかく、大学ではそんな集団も受験の反動だったりするだけで、大人から見ればかわいいもんです。ギリギリ単位を取っていればいいと言っている連中も、中には留年する子もいるのでしょうが、ほとんどは一緒に医師になるのですから、もう少しうまくやるようになってもらいたいものです。そこで、次の1〜2年間の目標はそんな同級生達にも寛大な心で接することにしてはどうかと提案しました。彼らからも慕われるくらいになれないようでは、医師としてチーム医療はできないぞ、と。勉強についてはもう言うことはないので、次には精神的な成長を期待したいものです。
家族のルール
家族で決めていたルールがありました。何でも隠し事をせずに話すことが義務である、というルールです。せっかく縁あって家族になったのだから、情報は共有した方が良いに決まっている、というのが我が家の考え方です。プライバシー重視の世の中に逆行しているかもしれませんが、そこは古い考えの方を尊重しました。
バイブルとして読ませたのが、齋藤孝のガツンと一発シリーズの「家族はチームだもっと会話をしろ!」でした。その本により権威を持たせるべく、齋藤孝先生主催の教室に通わせたりもしました。(そのシリーズでは他にも「そんな友達ならいなくたっていいじゃないか」も持っています。これも良書です。)
そのルールのおかげで、つまらないことにクヨクヨと悩むことは少なかったと思います。まだ解決能力に乏しい子供の悩みなんてだいたいは取るに足らないものですから。ただし、すぐに解決策を授けることはありません。形だけでも自分で結論に達したかのように導くのも親の役割です。何も考えずに解決することは、成長の機会を奪ってしまうことになります。
子供だけではどうしようもないこともありました。いじめです。正確にはいじめに発展する前の前の段階でした。時に子供は残酷でどうしようもないことをするものです。何の落ち度がなくても生け贄を探すことがあると思い知らされたものでした。幸いかなり早い段階で判明したので、すぐに担任の先生に連絡して解決を図りました。妻が事細かに説明してガツンと言ってもらったので、その子等はそれ以降息子に頭が上がらなくなりました。ところで、いじめに関しても我が家のルールがあって、1対1なら闘え、相手が複数になれば助けてやる、です。その中身も日頃から家族で話をできる環境にしていないとわかりませんでした。
学校の宿題の日記・作文も読めたのも、隠し事をしないルールにあてはまったからこそでした。
そうは言っても、中学に入って思春期になってくれば、親に言いたくないことも出てきたことでしょう。そういうことは自然と話さなくなったのだろうと推測します。話したいことは話し、そうでないことは話さない。そうしながら少しずつ大人に近づいていったのだと思います。
現在ではあれこれと聞いても、無視したり上手くごまかしたりしているんじゃないでしょうか。私も昔ほどいろいろ聞いたりはしません。ただそれでも話をするときにはじっくりとできます。関係はいまだ良好と言えるでしょう。
親として気をつけたこと
子供には負けないという気概を持つこと。
小学生のときはどんな勝負をしても勝てました。当然尊敬もされますから、勉強を教える上でも楽にできます。それも中学生から数学等で少しずつ怪しくなってきます。そして高校では勉強では完全についていけない内容の方が多くなってきました。足の速さで負けるようになったのもこの頃です。そして現在、学歴では完全に越えられました。収入を越えられるのも、医師になれば時間の問題です(←これはもう少し先ですが。)。どんな分野でも子が親を越えるのは悔しいながらもうれしいものです。
そんな中でもまだ負けないものもあります。ひとつには理解力です。数学五輪の問題集の解答の意味が分からないときには、その解読をしてやりました(ただし整数と場合の数だけですが。)。他には受験時のセンター試験現代文は私の方が点を取れるようになりました。また、話をしていても、息子の方が深いな、と思うことはまださほどない気がします。
記憶力もまだまだ負けません。特にクイズではハッキリと私の方が強いです。スマホアプリのクイズでも、私はSランクですが息子はAです。まだまだ簡単には差は埋まりません。私はいつも、クイズ研以外には負けない、とうそぶいています。
それらも含めいずれは負けてしまう時が来るかもしれません。もしかしたら、勝っていると思っているものでも実はもう越えられていることがあるかもしれないのです。それでも大事なことは負けないという気概を忘れないことです。私が父を越えたときには何となく寂しさを感じましたが、息子には少しでもそう感じる時を遅らせてやりたいと思っています。もっとも、子が親を越えても尊敬の念が消えることはありません。息子にもそう思ってもらえるよう、これからも精進です。
規範になろうとする気持ちを忘れない
当たり前のことですが、子供に禁止したことを親がやらないように気をつけました。子供にゲームを禁止しておいて、自分は夜中にやっていたなんてことがあると、威厳も何もあったものではありません。
読書を勧めておいて自分はテレビを見ている、というのも良くないでしょう。実はそこは少しうまくいきませんでした。私がついテレビを見てしまうんです。ただ、見てはいけないという自覚はありましたから、そこそこ自制できた部分もありました。無理しすぎはどこかで破綻するのでよくないですが、規範にならなくても良いと開き直るのは絶対に避けないといけません。
それでも基本的に子は親のことが好きだから、めったなことでは信頼を失わないでしょうけど、度を過ぎると保証の限りではないですから、できるだけ頑張ってきたつもりです。
実際に成績を良くしてやること
気をつけたことはたくさんありましたが、一番大事なことは実際に成績を良くしてやることですね。塾なしでいくためには、そこは外せません。受験の失敗等ありましたが、成績についてはずっと良かったので、信頼してもらって今があると思います。
最後に
今回はとても個人的・私的な話だったので、参考になるかわかりません。それでも、情報量が多い方がイメージしやすくて頭に入りやすいと思い、恥も含めていつもよりも多めに書きました。やや取り留めもなくなってしまったかもしれませんが、ここまで読んでくださってありがとうございました。
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