2020/12/15 タイトル変更 加筆修正 リンク追加
私たち夫婦が私立中高出身なので、息子も中学受験することは、それこそ生まれる前から決まっていました。しかし肝心なことがずっと決められずません。志望校です。
今回は息子が志望校を決めるに当たっての我が家の葛藤についてです。
インデックス
両親の志望校決めとの比較
父親(私)の場合
私のときにはそんなに悩んだ覚えがありません。私の田舎では、勉強ができる人が志望する学校は基本的に県内のトップ校一択です。そこに合格する自信がない、またはやや実力が足りない、と言う人は2番手校以下を受けることになります。併願は不可能でした。選択肢が少ないから特別悩む必要がありません。
母親(妻)の場合
妻の方は東京だったので選択肢は多かったとは思うのですが、こちらはちょっと独特の志望校選択をしています。妻の父親の知り合いの理事がいる学校を単願したそうなんです。父親は医師ですから、寄付金などをそれなりに用意したんでしょう。言葉は悪いですが裏口入学と考えて間違いないようです。昔は今ほど受験も盛んでなかったので、そんなことはよくあったのではないかと思われます。併願もしてないので確約があったのでしょうね。
念のため妻の名誉のために申し上げておくと、入った後の成績は大変良好で、その証拠に推薦入学で大学に入りました。バブル当時は学生の数も多く、女子が学校推薦を取るのは大変だったことは想像に難くありません。そのときも妻の両親は寄付をした方がいいのか検討したようなのですが、妻が成績が十分に足りているから必要ないと断ったとのことで、実際にお金は動かなかったそうです。
親は参考にならない
息子の場合には私たち両親の経験則が全く使えません。裏口入学するようなコネも財力もないですし、時代も違います。仮に大金持ちだったとしてもやりません。大事な受験の機会を奪われることは、成長する糧を失うことと同じですから。それに中学高校の学歴が良かろうと、出口の大学で失敗すれば意味は薄れます。
ならば大学で裏口入学すれば良いかというとそんなこともありません。私の世代でも既に怪しかったのに、今はもう大学名だけで一生安泰という時代ではありません。実力がなければ「あの人高学歴なのに」と陰口をたたかれるだけの存在に成り下がるだけです。食っていける資格の入り口となる医学部なら裏口入学の価値もあるんでしょうけど、本音を言えば、純然たる学力勝負で入れなかった医者に命を預けたくはありません。
複数受験可能
息子が私の場合と一番違うところは複数受験ができることです。これは気が楽というかありがたいと感じました。私立進学か公立進学かは大きな問題で、併願できなかった私がもし受験に失敗していたら、人生への影響が大きかったことでしょう。高知は公立と私立の差が非常に大きく、中学受験の成否は正に人生の分かれ道だったからです。高校編入の道はあったものの、編入生は外様扱いなのでこれまた辛いものです。内部生編入生の隔たりは全国どこにでもある問題で、高校入学を実施しない中高一貫校が昔よりも増えているのはそこを考慮したものだろうと考えています。
それを思えば、私立に行きたいと志望すればどこかに行ける可能性が高いのは本当に助かる話で、学生時代の人生設計がしやすくなります。学力等いろんな差はあれど、高校受験するしないの差に比べれば大した差ではありません。
偏差値で選ぶ
東大合格者数≒偏差値
選択肢が多くとも、無視するわけにいかないのが偏差値です。そしてその偏差値を決めるのが、ズバリ東大合格者数ということになります。最近は国公立医学部や難関私立医学部も指標に加えられることが増えましたし、女子の場合は大学付属で高偏差値の学校があったりしますが、基本的には東大合格者数が鉄板の指標であることには変わりはありません。
最近でこそ落ち着きましたが、近年東大ブームで東大性がクイズ番組に出たり、東大生のご家庭はどうのこうのという特番が組まれたり、東大入試に密着するみたいなことが、一昔前に比べてあきらかに増加しました。それが東大の価値を引き上げる一因にもなってるのでしょう。それにつれて東大を狙う専門塾の台頭も顕著になっています。
頭を良くするにもいろんな道があった方が良い
その代表格が鉄緑会でしょう。大都市圏以外の地方にお住まいの方には馴染みは薄いかもしれませんが、東大専門(と言って良い)の鉄緑会という塾があります。ここに入塾するには指定校に通っていることが前提です。一応入塾テストはあって指定校以外からも入れるのですが、基本は指定校の生徒です。
私は生来ひねくれているところがあります。塾なしでいこうとしたのも、ある意味そんな性格が影響しています。そんな私が東大専門塾のようなところがあることを知ってしまうと、とりあえず鉄緑会には入れたくはないと考えてしまいます。
毎年6月頃に出版される東大理Ⅲの合格体験記を読んで参考にするのが好きだったのですが、年々鉄緑会の生徒が増えています。生い立ちやご家庭の話を読むのは楽しいですが、肝心の学習面で参考になる人がどんどん減っていくのは残念でした。成績の上げ方には多様性があるべきなのに、あまりにも画一化されていくのは良いことではないと思います。人と同じではつまらなくはないでしょうか。(得をする考え方でないことはわかっています。)
そこまでなら構いませんが、指定校制度まで嫌悪の対象にしてしまった(無意識にしたかも…)ことがあり、鉄緑会に入れるんじゃなければ指定校に入学することに躍起になる必要ないと考えてしまいました。これは行き過ぎです。指定校の生徒であっても大半が鉄緑会に入るわけではありません。最多の開成、桜蔭ですら半分にも満たないのですから。最終的に高い偏差値の学校を受験することになるのだから、最初から素直に偏差値をありがたがる方が良かったと反省しています。
結局偏差値は一番参考になる
悪名高い指標ですが、やはり偏差値は信用できます。他に頼りになる指標がないと言った方が良いかもしれません。高偏差値の学校には確実に優秀な子供達が集まってきます。受験は団体戦などと言われますが、一流校にいるだけで学力は底上げされ、本来の実力よりも一段上の大学に入れることがよくあります。私はこれを一流校ブーストと呼んでいます。もちろん中には本物もたくさんいて、そういう人はさすがの貫禄を示しますが、一流校ブーストは決して侮れず、無理してでも高偏差値校を狙う大きな理由になり得ます。
東大や国立医学部に進学したときに同窓の仲間が多いことも、どちらかと言えばメリットの方が多いでしょう。先輩後輩も多く、一大派閥を築いています。優秀な同僚は多いに越したことはありません。
だから特別なこだわりがなければ、できるだけ高い偏差値の学校を目指した方が良いと言えます。
校風で選ぶ
校風はあまり気にしなかった
偏差値が学校選びの基本ですが、場合によっては多少の偏差値をひっくり返してでも行きたくなる行かせたくなる基準として、校風というものがあります。
校風にもいろいろありますが、一番大きく分けると自由か管理かということになると思います。響きからすると自由、自主性がいい気がしますが、現実には自由を使いこなすのは難しいものです。大人でも大変なのに、10代の子供にそれを要求するのは酷なこともあります。
前述したように、私の故郷では成績によって自動的に受験校が決まります。校風などを考える人は少なくとも当時はいませんでした。でも実際には校風がちゃんと存在していました。終業式のときに指導部の先生が毎回口癖のように「自ら学ぶ、自らを律する」と言っていたことからもわかるように、自主性を重んじる学校だったのです。
そんな校風とは知らずに入学してきた生徒の多くは、成績もイマイチ振るわなかったと思われます。私もどちらかというとその部類に入るでしょう。精神的に未熟な子は、しっかりと管理してもらって厳しくしてもらう方が伸びる可能性が高くなるのは間違いありません。
母校の校風を意識するようになったのは、息子の学校探しをしているときに、そういう選び方があると知ってからです。へー、校風なんて気にするのか、そういえば母校はどうだったかな、という感じで思い出してみたに過ぎず、在学中からそのときに至るまで数十年気にしたこともない話でした。
だからか、あまり校風については気にすることはないかと思ってました。入学したところの校風に合わせれば良いからです。どんな校風なのかはあらかじめ情報として持っているのですから入学後戸惑うこともないでしょうし、そもそも環境に合わせるべき、というのは私の信条でもあります。自分に合う合わないを気にするよりも、合わせていくことを考えた方が将来的にも社会に適応できる確率は上がります。
ただし、あまりに合わないと感じるなら受験を避けたほうが無難です。いくらでも学校はあります。無理する必要はありません。
雰囲気は確かに違う
校風はともかくとして、実際に学校を見てみることは大事だと思い、たくさんの学校を回ってみました。それこそ小学校低学年のときからいろんな学校の文化祭などを見に行っています。そこで気付いたことは、自主か管理かの違いや「他者のために」「自調自考」などの校是やスローガンはともかくとして、それぞれの学校のカラーというか雰囲気は確実に違っているということです。
それは生徒個人の物腰や態度に表れます。わかりやすく言えば、がさつかおっとりかということに大別できるでしょう。自由な校風だからがさつとか、管理されているからおとなしいとか、そういう関連性はゼロとは言えませんが、さほど影響がなかった気がします。そしてそれを見て考えたのは、比較的秩序があることを好む息子には、奔放な生徒の多い学校よりは落ち着いた生徒の多い学校の方が生活しやすいのでは、ということです。そこは多少考慮に入れようと思いました。
惚れ込んだ学校に出会わない
数年間かけていくつもの学校におじゃましてきたにも関わらず、これだ!と言う一目惚れするような学校には巡り会えませんでした。親子共々です。私はひねくれものでやや斜に構えたところがありますから、そうそう惚れ込むというような一途な気持ちになれません(結婚の時は例外)。どうしても粗を探してしまうからです。反面、受け入れたものは覚悟を決めてやりますが⋯
息子もそのように育ててきたので、似た考え方をするところがあって、やはりどうしてもここがいい!という学校には出会いませんでした。子供らしく行きたい学校ができてくれればこんな楽なことはないのにと思いながらも、5年生後半になってもズルズルと志望校が決められませんでした。
志望校決定へ
志望校選びで考えなくて良いこと
志望校を考えるときに考慮しなくても良いことは、最初のうちは偏差値です。条件を気にせず一番気に入った学校を選ぶことだと思っています。それは、学費、通学時間、学力を気にすることなく、フリーパスならどこへ行きたい、または行かせたいかを重視することです。よほど学力に隔たりがあるならあきらめるのが早くなるでしょうが、そうでないならば、気に入った度合いにもよりますが、そこそこの合格可能性が出てくるところまでモチベーションが続いて努力できます。だからこそ高い目標を持つのは意味がありますし、堂々とそれを掲げるべきなのです。
息子の場合は気に入った学校は見つからなかったものの、とりあえず偏差値は高い学校を目標にはしてきました。我が家の教育のコンセプトが「なりたい職業に就く」ことでしたから、とりあえず東大を目指しておけばそのコンセプトに近づくだろうという考えがありました。そして東大に行くにはその合格者が多いところ、すなわち偏差値の高い中学ということになるのは必然です。偏差値で決めていいのかという葛藤を持った時期もありましたが、それを乗り越え、結局一番頼りになるのは偏差値であると覚悟を決めました。
麻布を目指す
そしてその頃、考え抜く学習で算数が何とかなりそうとわかったので、心から行きたい学校はないにせよ、そろそろ暫定的に志望校を決めておくか、ということになりました。
東京の学校を偏差値で考えると、御三家を避けては通れません。開成麻布武蔵の三校です。立地の問題で武蔵が外れ、開成か麻布かの選択になりました。東京近辺の人ならご承知のように、麻布といえば自由奔放の代名詞のような学校です。開成も自由・自主性を重んじてはいますが、麻布の自由とはレベルが違います。自由を通り過ぎて放縦な生徒もたくさんいるはずです。
性格からして開成の方が向いているのですが、とりあえずとは言え息子が選んだのは麻布の方でした。文化祭に2〜3回行ってみて、髪を染めて目立っている人は引くけど、そうでないまともそうな人もたくさんいたからだと言います。確かにその通りです。その辺りは麻布の懐の深さととらえることもできます。私にこだわりはありませんでしたから、なんであれ形だけでも息子が自分で決めてくれたことはありがたいことでした。(実は少し麻布の方が通いやすかったことも大きかったらしいです。)
目標も決まったので、それ以降本格的に受験態勢!ということにはならず、淡々と同じような日々が流れていきました。6年生になる手前のことでした。ただ、過去問をやってみて、どこまでできれば良いのかはわかって、教える側はやりやすくなりました。
あまりはっきりと学校名などは出さなかったのに、ここで具体的な校名が出てきました。これは息子の許可が出ているので出すことにしました。結果的に麻布は不合格だったので、心のしこりとして残っていたようなのですが、大学受験も終えてそこはもう完全に過去のこととして克服できているとのこと。具体的な校名がわかる方が書きやすいし、読んでくれる人もイメージしやすいだろうと言ってくれたので、ありがたくそうさせてもらいました。
驚くのは、受験の失敗を大学生になるくらいまで引きずっていたことです。12歳の子供には心の傷として残るような大事だったんですね。親の意向で受験させられるのですから気の毒ではありますが、挫折を知ることは決してマイナスではありません。挫折を乗り越えられた分、成功続きの人よりも経験値が多い。次にまた挫折があったときもまた乗り越えられる可能性は高くなっています。悪いことばかりということはなく、人間万事塞翁が馬です。
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