中学受験を何とか乗り越え、息子は中学に進学しました。
息子のように、第一志望には残念ながら合格しなかったけれども、第2志望以下の学校に進学する子はたくさんいると思います。その中には、少なからず心に傷を負った子もいるようです。
今回は、そういう子に出会ってしまった息子の体験談とその時の対処法、それに加えて中学受験の失敗を克服するための心の持ちようについてお話しします。
インデックス
中学入学
息子も無事中学生となりました。私達両親にとっては大きな目標だった中高一貫校に進学させられておおむね満足です。
校風は志望校を選ぶときの決め手にするほどには重視していませんでしたが、進学した学校の校風自体は好ましいと感じていました。通学時間もさほど長くはなく適度なところも良いところです。
第一志望を落ちたことにもうこだわることもありません。私達は大人ですから、どうしようもないことにいつまでもとらわれるのは無駄であると経験上知っています。だから既に心を一新して、中学進学を心から喜んでいました。しかし息子は少し違ったようでした。
第一志望不合格という人生初めての大きな失敗で、自信を失っているようでした。四六時中落ち込んでいるわけではありません。ただ、何となく自信なさげというか、不安そうにしている様子が見て取れました。
それは、同じ学校からの進学者がゼロで、しかも塾に通っていなかったので、知り合いが1人もいないところへ行くことの不安も、もちろん大きかったとは思います。でも、自分がどれくらいその学校でやれるのかを心配する気持ちは大きかったようでした。第一志望に通らなかったくらいだから、この学校でもそんなにいい成績が取れないんじゃないか、真ん中より下かもしれない、などという不安を抱えていたみたいです。
そんな中、「中学への算数」の学力コンテストで常連だった息子の名前を知っている子もいたようで、それはかろうじて自信をつなぎ止められる出来事でした。
マウンティングは傷心の表れ
息子の場合は自信をなくす方向に気持ちが動きましたが、それとは逆に自分を誇示することで気持ちを保っている子が何人もいたそうです。
数が多かったのが中学入試落ちた自慢です。つまりもっと上位の学校を受けていたんだよ、というアピールです。わかりやすく本音にすると「俺はもっと上の学校に行く実力があったんだけど、運が悪くてこの学校に来ることになったんだ。この学校が第一志望だった奴なんかといっしょにしないでくれよ。」ということでしょう。年寄りの病気自慢と似ているかもしれません。
これは、少しでも自分が優位だということを示そうとするマウンティングと呼ばれる行為です。そしてそれは、自らの劣等感を覆い隠そうとして起こることが多いといわれます。正に、不合格を喰らってしまったことへの引け目から発生したのだろうと私は考えています。
そもそも経過はどうあれ、同じ学校に通うことになったのです。運が良くて合格した子もいれば、不運にも実力を発揮できずにやってきた子もいるでしょう。後者の立場になってみると、その子と同じくらいの実力の持ち主が偏差値上位の学校に進学しているということがおそらくあるはずです。さらに言えば、自分より下に見ていた子の方が上位校に合格したかもしれません。そのように、身近に比較できる対象がいたならば激しく劣等感を感じたことでしょう。そのやるせない気持ちを慰めるために、本来持っているであろう優しさや自制心を忘れてマウンティングに走ってしまうのは、中学1年生にとっては無理もないことです。
上位校を受けたというだけでなく、息子が塾なしであることを小馬鹿にして、自分はSAPIXであることを自慢する子もいたそうです。よくよく考えてみれば、有名塾の生徒が塾なしと同じ学校に来たことは恥ずかしい、という見方もできます。コスパは悪いし、長時間勉強してきた甲斐がないというものです。でも、そんなこともわからないくらいその子も傷ついていたのでしょう。些細なことでも自分の優位性にしないといけないくらいに。
実力を示すしかない
息子から一連の話を聞いて、やっぱり12歳にして受験をするということは酷なのかな、と思いました。
息子も面食らったようでしたから、私なりの対処法を示しておきました。一番強調したのは、そういう話をされても、自分からは絶対にどこを受けたとか落ちたとか受かったとか言わないように、ということです。そんなものは入学当初だけで、いつまでもネタにする話ではないことが分かり切っています。不要な情報を与える必要はありません。もはや過去を振り返ることは不毛です。
どんな経路をたどろうとも、同じ学校に通うことになったのだから横一線で、何の差も感じる必要がないもと説きました。上位校を受けた子や名門塾生に対し引け目を感じなくて良いのはもちろん、第一志望でやってきた子を馬鹿にするのもおかしいと言い聞かせました。
受験は実力だけでは決まりません。当然運の要素もあります。まだ未熟な小学生ですから、中学受験では運の比率は高校大学受験よりは大きいでしょう。でも厳しい見方をすれば、運も実力であることもまた事実です。早くそれを受け入れて前を向くことが重要なのです。
全てはこれからです。上位校不合格で悔しい気持ちがあり、自分はこんな学校に来るべき人間じゃないと思っているならば、成績でそれを証明すれば良いのです。やればできるという、はっきり言って根拠の薄い自信だけを持ったまま、ずっとふてくされ続けるのでは何の解決にもなりません。実力を証明できる人間だけが、気が済むまでイジケていられる資格を持っていると思っています。
逆に息子のように自信を失っている子も、早めに良い成績をあげさせないと沈みっぱなしになりかねません。親がうまくマネジメントして、明るい中学生活の軌道に乗せてやらないといけないと感じました。
中学に入学したばかりで起こったこの一件は、心に傷を抱えている子にとっては、将来にわたって影響を及ぼすおそれのある正念場かもしれません。勉強(受験)での失敗は、結局勉強でしか返せないのです。
後日譚ですが、息子にマウンティングしてきた子は、その後特に成績で目立つことはなく、息子との関わりも薄くなったそうです。
もうひとつ。大学入学後も同じような出来事に遭遇したそうです。もうちょっと上の大学を受けたかったけど、センター試験で点を取れなかったから安全運転をした、というような話をする学生が、やはり複数人いたと言います。中学受験ならば12〜3歳だから仕方ないかと思っていましたが、18歳を超えても全く同じことをいうのですから、精神的に未熟云々ではなくマウンティングは人間の本能に近いものがあるのかもしれないと考えを改めています。
ちなみに中学の時と同様、その大学生等は今現在大した成績ではないとのことです。
以上、ここまで読んでくださいましてありがとうございました。
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