前回の記事で、息子の小学生時代に勉強を教える先生から、中学以降は時間や教材などを管理するマネージャーへと役割が変化したという話を書きました。
それに対して、中学生にもなったら、自主性を重んじて自分でやらせるようにしないと大人になってから困る、という意見は必ずあるでしょう。
そこで今回は、管理と自主性のバランスの取り方についての我が家の方針について話を進めていきたいと思います。
インデックス
口出しをしなければ自主性は育つのか
子供への干渉は悪いこと?
中学生にもなっていつまでも親が口を出しているようでは子供の自主性が育たない、という考え方があります。かなり幅広く行き渡った根強い考え方です。
世間は子供の独り立ちに特別熱心です。子が親に頼らなくても良いという状態をことのほか高く評価します。手が掛からない子供というのは、たいへん素晴らしいと見なされるのです。
その裏返しで、親が子供に干渉することはどちらかというと悪いことだと思われています。男の子の場合は、母親との関係が良好なだけですぐにマザコンと揶揄されるほどです。だから親子共に過保護との批判を受けることを怖れていると言えます。
そんな風潮のため、もっと子供に構ってあげたい親も、もっと甘えたい子供も、罪悪感から我慢をしていることもあるに違いありません。もっとも、それで自主性が身につくならば我慢した甲斐もあるんですけども、本当にうまくいくものでしょうか。
新入社員に最初から全部任せる会社はない
ここでちょっと考えてみてください。中学生に自主性を要求するのは本当に妥当でしょうか。
中学生といえばまだ10代前半です。もちろん未成年です。法律上でも未成年者は半人前扱いです。そんな独り立ちできていない人間に、ろくにやり方も学ばせずに自分で工夫してやりなさい、と要求するは酷というものではありませんか。
20歳を過ぎている新入社員にいきなり「君も大人で社会人になったのだから、全て自分でやってみなさい。」とは言わないでしょう。最初は教育係がついて仕事のやり方を教え、慣れていけば徐々に1人で任せていくのが普通です。ましてや成人までにはまだまだほど遠い中学生に自分でやってみろというのは、いくら何でも厳しすぎるというものです。
自己管理できる中学生は少数派
はっきり言って、自分で考え、自己を全てを管理できている中学生は少数派です。自主性を求められているのにうまくいかず、どうして良いか分からずに、気がついたら堕落の道を突き進んでいた、なんてこともよくありそうです。決してレアケースではないと思います。
もちろんうまくできる子もいるでしょう。放っておいたら本当に自分で何でもできるようになったすばらしい子供です。でもそれは運が良いと考えた方がいいかもしれません。宝くじほどは確率が低くはないですが、大当たりの子供です。なまじそういう立派な子が存在するだけに、自己管理できない多数の子が犠牲になっているとも言えます。立派な子こそがレアケースだと認識した方が良さそうです。
要するに、放任して自分の責任でやらせれば、自然と自主性が身につく可能性は決して高くなく、失敗することも多いということを、リスクとして知っておくべきです。何のプランもないならば、運不運の要素の強いギャンブルのようなものと考えて差し支えないと思います。
管理すると自主性が育たないとは限らない
ちょっと視点を変えて、管理した場合に自主性は育たないのかどうかを考えてみます。わかりやすくするために一番極端な例を想定しましょう。
子供に何も考えさせずに、親が計画した予定をただ履行させるとどうなるでしょうか。「何も考えさせずに」というところに引きずられて失敗するに違いないと思うかもしれませんが、一概にそうとは言えません。なぜなら、その親の管理によって成功が得られた場合、次に1人で全部やってみろと言われたときに、どうやってやったのかを思い出すことができさえすれば、やはり同じようにできる確率が十分にあると言えるからです。少なくとも、放任されて自己管理もできるようにならなかった子供よりはずっとずっと高確率です。
「何も考えさせずに」という条件ですから、行き着く先は指示待ち人間の可能性が高くなります。それは全条件の中で最高です。それでも、放置自主性獲得目標の子供よりも学歴が高くなる確率は高いでしょう。
自分では何も決められないが言われたことはこなせ、そこそこの学校に進学した人間と、放っておかれた挙げ句、勉強の仕方なども分からずに思ったような大学に行けなかった人間。どちらも最悪のケースを考えた究極の選択ですがどちらにしますかということを一考しておくべきではないでしょうか。(親の助言に反発してドロップアウトというもっとひどいケースは、親子関係等の別要素によるところが大きいのでここでは無視します。)
確固たる方針を決めておく
以上の事実を理解した上で、親は教育方針を選ぶのが望ましいです。誰でも自然と自主性が身につくわけではないということを知り、どこまで子供を手助けするかという方針を家族で話し合って決めておけば、どういう結果になったとしても後悔することは少なくなるでしょう。
大学受験終了までずっと親が補助し、子供は勉強のことだけ考えていれば良いというのはアリだと思います。佐藤ママはこのスタンスですね。東大医学部に進学した息子さんたちは、親元を離れた後も途方に暮れることもなく、現在は医師としてご活躍されているとのことなので、親がかりになるとダメになるわけではないという一つの実例です。
逆に全て理解した上で、中高生になったら自分で考えてやらないとダメだというのならば、それは尊重されるべきです。他人が口を挟むことではありません。中学の早い段階で自己管理できるようになれば、それは最高の結果。将来の成功もある程度保証されたようなものです。ここからさらに一皮むけて大物になるのも、このタイプが一番多いというイメージです。
我が家の場合は、小学校では全て親が管理していました。中学では親子で相談して計画を練り、少しずつ子供の関与を増やしていき、最終的に高校ではほとんど息子にやらせる。こういうプランを想定しました。結果的に全てうまくいったとは言えませんが、方針を決めておいたことで後悔することはあまりありません。
このようにご家庭ごとの方針を決め、それに従ってどこまで関与するのか考えていけば良いと思います。まずは学歴を最大限重視するなら、がっちり管理するのも良いでしょう。自主性云々よりもまずは良い大学、というのも現実的な考え方です。一方、中学以降の人生は自分で切り開くものという信念があるなら、そのようにすべきです。
よく分からないけれど、世間では突き放して自主性が育つという子育てをしているから自分でもそうしようというのは、将来失敗したときに後悔しかねません。リスクを考え、家庭環境を考え、最善と思われる方針を自ら決めることです。
まとめ
- 親が口出しせず放任すれば、子供は仕方なく自ら考えて動き出すというのは夢物語です。自主性を錦の御旗にして教育から目をそらすべきではありません。
- 親が管理・補助・助言をしたからといって、子供が親がかりの指示待ち人間に必ずなってしまうわけではありません。
- 自主性を求める良さ、口出しする利点、どちらも理解した上で方針を決めておくと、将来後悔することを軽減できます。
息子は現在、自分で全て考えて大学の勉強をしています。大学受験よりもずっと熱心に長時間勉強しています。あまりよろしくない方法を採っていることもありますが、私から口出しはしません。助言を求めてくればその用意はいつでもあります。
その助言も、勉強内容には全く関与できないので勉強方法だけですが、先日久しぶりに相談に乗りました。どんなことをしないといけないのか聞いて、その対処法を示しました。思った以上に大変なようですから、少しでも役に立てばと願っています。いくつになっても子供を手伝えるのは親の喜びです。この先も良き助言者でいられるよう私も頑張ろうという気にさせてくれました。
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