中学での国語の勉強の仕方がわからないという話はよく聞きます。そこで今回は我が家流の国語対策についてお話ししたいと思います。
前半で国語の力をつけるための考え方を、後半では定期試験で点を取るために実際にとった対策について述べていきます。
インデックス
読書で国語力はつくか
国語ができるようになるにはたくさん読書をすること。これは私が子供の頃には既に言われていたことです。ですから実際にはもっと前から、つまり半世紀以上前から言われていたに違いありません。もっとも最近は読書離れが進みすぎて、むしろ言われなくなっているのでは、という気もします。
結論から申し上げると、読書をすれば国語力はプラスの方向に向かいます。少なくともマイナスにはならないでしょう。
読書の効果として大きいのは、活字に慣れることです。国語の問題はすべて文章ですから、活字をすばやく読めて理解できることは確実に有利になります。活字離れが進んだ現在、その優位性はさらに拡大しているでしょう。
基本的には読書量が多ければ多いほど活字に慣れるはずです。しかしながら現実にはそううまくはいきません。
読書をしない現代の子供が目にする活字媒体は、主としてスマホ等のネット内の文章です。感心なことに文庫本を読んでいる子でも、主力はライトノベルだったりします。それらの文章はだいたい平易です。読みやすくないと読んでくれないからです。(骨太のラノベは探せばあります。)
それに対し国語で課される文章は難しいものが多く、すんなり頭に入ってきてはくれません。だから、日頃簡単な文章にしか触れていなければ、それをたくさん読んでいたとしても点の取れる国語力に直接はつながらないのです。(それでも読書ゼロよりはかなりマシですが。)
読書で国語力を上げようと思えば、やはり重厚感のある文章を読む方が良いに決まっています。それにはやはり文学が最適ということになるでしょう。名だたる文学作品を数多く読んでいるのに、国語が苦手だという人はおそらくいません。
私の妻がそういうタイプの国語強者でした。現代では絶滅危惧種となってしまった「趣味が読書」という少女時代を過ごし、文学からライトなものまで幅広く読んでいたようです。明治期の文豪もたくさん読んだそうですから、そりゃ国語も強くなる道理です。
はっきりしているのは、読書から離れてしまった現代人が読書だけで国語力をつけるのは大変困難だということです。生来の国語センスも関係してくるでしょうが、膨大な量の読み応えのある読書が必要になってくるからです。
それでも可能な限り、読書をすべきではあります。勉強という意識抜きで国語力をつけるにはそれしかありません。
精読が国語力をつける
目標は100%の理解
読書家になることが難しいなら、難解な文章を読み込んで国語力をつけるしかありません。いわゆる精読という方法です。これなら数をたくさんこなさずとも読解力をつけることができます。
精読の目標は文章の理解をできる限り100%に近づけることです。
レベルは自分の実力よりもやや上の、一読しただけでは何を言っているのかはっきりとは分からないくらいのものにします。使う教材は国語の問題集で良いでしょう。あらゆるレベルに対応したものがあります。
100%理解が目標ですから、わからない単語はひとつもあってはいけません。必ず辞書で調べます。普段ならだいたいの意味のあたりを付けて読み飛ばすような語句も、しっかりと調べて完璧に理解します。これは時間さえかければできます。語彙も豊富になって一石二鳥です。
文脈をつかみ取る論説文
意味がすべて分かれば次に、論説文なら筆者の言いたいことが何なのかを見つけます。この文章をひとつの文で言い表すとするなら何か、ということを考えて要約文を作っておきます。
続いて、文章の各段落を要約していきます。全段落を要約し終えたら、それらのつながりを探っていきます。カラオケで歌詞をAメロ、Bメロ、サビ1などと分解したりしますが、そんな感じで主張1、主張2、具体例1、リード1などと分解して、全体の文脈をつかむようにします。
そのようにして全体を俯瞰できるようになったとき、読解力はその文章の分だけ確実にアップしています。次に同等の文章を読む場合に、そのアップした分だけ読む能力が向上しているはずです。これは地道なようで意外と即効性のあるやり方です。
物語は心情を追う
物語文の方は論説文と違って、話の内容は分かるけど問題が解けない、ということが多くあります。読書量が活きてくる割合が高くなるのは物語の方で、センスがあると苦もなく解けることがあります。
センスというと漠然としていますが、私が考えるに、登場人物の心の動きを自然と感じることができる力だと思っています。感受性が強く豊かな心を持っているイメージです。
時に思いこみが強すぎたり、作問者と感性が合わなくて苦労することもあるようですが、ほとんどの場合は難なくマッチし、圧倒的に有利な体勢のまま押し切ることが可能です。
しかし、そこまで無意識にできる読書家は絶滅危惧種です。普通の人は意識して物語の登場人物の心情をつかんでいかないといけません。
問題として出されるくらいですから、物語において主要な登場人物の心情はほぼ例外なく変化します。その変化を追うために、場面ごとに評価をしながら読み進めます。良い感情の時にはプラス、悪い感情の時にはマイナス評価です。
心情の種類は大まかに喜怒哀楽の4つです。もちろん、もっと細かく分けることも可能ですが、私は逆に減らして2つとして考えました。喜と楽は陽気な方向なのでプラス、怒と哀は陰気な方向なのでマイナスです。
物語序盤では沈んだ気持ちの「哀」が強く、マイナスの指標を示していたものが、場面の転換や他の登場人物との出会いによってプラスの「喜」の方向に転じるようなわかりやすいこともありますし、「哀」を抱えたまま一筋の「喜」が芽生えてきたりもします。その指標がどう変わったかというところを追えば、物語文はずいぶんわかりやすくなると思います。
時間はたっぷりとかける
論説文にしても物語文にしても大事なことは、時間無制限でじっくりと考えることです。問題集には問題ごとに制限時間をもうけているのが通常ですが、ご丁寧にそれを守る必要はまったくありません。
まず優先すべきは国語の実力をつけることです。時間無制限の中で満足のいく答案が作れるようにならないことには、なかなか国語の点は上がりません。
そうやって国語力をつけた後に、制限時間内に解く練習をすれば良いのです。そしてその練習は模試と受験期のみで十分だと思います。
試験でもなければ一つの文章をじっくりと読み込んでいくことはそうそうありません。だから定期試験は国語力をつける大きなチャンスなのです。
定期試験対策
学校の国語の授業では、ひとつの国語作品を何時間もかけて読んでいきます。この上ない精読の機会です。これを逃す手はありません。
ですからできることなら、教科書などの授業で扱う教材を授業がある毎に、少なくとも1回以上読んで理解を深めていくべきでした。残念ながら息子の中学の頃は、国語の授業の効能についてそこまで考えていなかったので、対策は試験1週間前からスタートです。
定期試験の対策は、私が時間を取れるときに一緒に読み込んでいく方式でやりました。妻も国語が得意だったので、3人でやることも頻繁にありました。土日でやることが多かったと記憶しています。一緒にやれる数少ない科目なので、ちょうど良い親子の会話の機会でした。
文章が載っている教科書などをコピーし、各自持って読み込み、その上で議論していきます。
論説文なら、順番に読み進めながら要約をしたり主張の中身について吟味していきます。物語文なら、場面毎に背景や人間関係をはっきりさせ、人物の気持ちを考えていきます。そして各々の意見を交換して理解を深めていきました。
もちろん最終的には授業でとったノートを参考にします。ノートは国語の先生の板書なので、参考というよりは答えに近いものです。息子の学校の国語の先生は、私などが偉そうに評価するのは失礼ではありますが、良い授業をしてくださっていたようでした。先生の見解にはとても信頼が置けたので、安心して議論をすることができました。
試験で聞かれそうな問題を考えたりしながら読み進めていくのは、思い返せばなかなかに楽しい時間だった気がします。
まとめ
- 読書で国語力をつけるのはかなり大変。
- 国語力は100%理解を目指した精読でつけるのが効率的。
- 論説文は筆者の主張を追い、物語文は登場人物の心情を追う。
- 国語の実力をつけるには、時間無制限にして問題を考え抜いた上で解く。
- 学校の国語はじっくりと精読できる最大のチャンス。
- 試験前、親子で議論し理解を深める。
ここまで読んでくださり、どうもありがとうございました。
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