息子が小さい頃から(生まれる前からかも)東大合格者のご家庭を紹介する番組や雑誌の企画や合格体験記等を見ていると、親から「勉強しなさい」と言われたことがない、という話をしばしば見かけます。
『たまに』ならば、まあそういう話もありえるね、で済ませたはずなのですが、結構な頻度で聞く話でしたから、もしかしたらそうでないといけないのかもしれないと、ずっと引っかかりを感じていました。
果たしてそんなことは一般論として可能なのでしょうか。今回は「勉強しなさい」ということの是非を考えてみたいと思います。
インデックス
「勉強しなさい」は無意味
実体験を振り返る
私の学生時代を振り返ると、親から数限りなく「勉強しなさい」と言われました。しかしそれに反応してにすぐ勉強し始めたという記憶がありません。当時は勉強は自室でするということになっていましたから、勉強しろと言われれば部屋に引っ込むのですが、ろくに勉強などせずダラダラと過ごしていただけだった気がします。
ちなみに、この経験があったから、リビング学習と聞いたときに飛びついて、息子に実践してきたのです。
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一般論
一般的にも「勉強しなさい」の評判は昔からよくありません。小説やマンガによくあるのが「今始めようと思っていたのに」という話です。言われた方はだいたい、まったく勉強をする気がないか、勉強しないといけないけどめんどくさいくらいのことを考えていて、今すぐに始める気がないことがほとんどでしょう。にもかかわらず「今始めようと思っていた」はちょっと信じられません。。
それだけにはとどまらず、「おかげですっかりやる気をなくした」なんていう話まであります。そこまでいくと、もはやチンピラの言いがかりです。
しかし、こういう話が真実味を帯びて伝わっているところをみると、一般的には「勉強しなさい」の声かけが意味のないものとしてとらえられている証拠ではないでしょうか。
そもそも、親から「勉強しなさい」と言われたことがないと東大生が語るのも、言われてやる人はダメとか、言われなくてもやるのが正しい姿である、というメッセージになっているのではありませんか。「勉強しなさい」に対して批判的な見方をしていると見ることができます。
なぜ「勉強しなさい」と言ってしまうのか
我が子の勉強に関して親は冷静さを失ってしまう
あまり効果的でないと思っている人が多いにも関わらず、どうして世の親たちは「勉強しなさい」と言ってしまうのでしょうか。どうも子供の勉強について、親からは正常な思考が奪われているようにも見えます。
例えば我が子に勉強を教えるときに、まったく冷静さを保てない親がたくさんいます。「こんなこともわからないの?」と叱りつける親をどこかで見たことがあるのではないでしょうか。普段は優しく接しているのに、勉強に関してだけは冷静でいられなくなるのはどうしてでしょう。
もっと勉強しておけば良かった。そう思う大人はとても多いようです。勉強しておけば、収入、学歴、教養など様々な意味で人生はもっと良かったはず。社会に出てそのことに気付く人もまた少なくないでしょう。
そういう大人が親になったとき、子供に「勉強しなさい」と言ってしまうのは自然なことです。子供の成功を祈らない親はいないからです。自分が子供の時に親から言われた「勉強しなさい」は煩わしいと感じていたにも関わらず、やはり同じことを繰り返してしまうのは皮肉です。
でもこれは親の子に対する愛情の一形態ですから仕方ありません。今後もなくなることなく続いていくのでしょう。
何も言われなくても勉強する子は一種の天才と割り切る
正直言って、親から「勉強しなさい」と言われたことがないという子の話を聞くと、羨ましくて仕方ありません。ならばその方法を真似してやろうとするのですが、具体的なやり方はほぼ語られていないのです。
漠然と、どうやら勉強を好きにするのが良いらしい、ということでマイナスの方向に向かないよう勉強のことでは叱らないようにしました。
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もちろんほめて育てる方針も採用してきました。その甲斐あってか、息子も勉強が嫌いではないようです。それでも、私達親が100%放っておくと、自主的に勉強を始めないことは日常茶飯事でした。(自主的に始めたときにはほめました。)
結局、勉強が嫌いではないが自ら進んでやるほど好きにさせることはできませんでした。親として勉強好きな子供に育てる手腕が足りなかったという事実は認めざるを得ません。それでもやれることはしてきました。現時点では具体的に何が足りなかったのか不明です。
これはもう、勉強が好きという才能には恵まれなかったのだと結論づけるのが適当でしょう。なぜなら努力しても及ばないところは、そのように考えないと辛くなってしまうからです。自主的に勉強するなんて天才の一種だとみなし、真似できるものではないとあきらめることにしました。
できるだけ「勉強しなさい」と言わずに勉強させるには
遠回しに伝える
高圧的に「勉強しなさい」ではなく、優しげな声で勉強時間が来ていることを教えたり、落ち着いた声でそれとなく勉強した方がよいことを匂わせるのはどうでしょうか。不機嫌そうに言われるよりはずいぶんマシです。
でもこれって、マイルドな物言いなだけで「勉強しなさい」と実質的に同じです。ごまかしているに過ぎません。でも、何も言わなければいつまでも勉強を始めないのですから、何かうまい方法が必要です。
そこで我が家では、直接的な言い方ではなく遠回しに勉強をさせるようにしました。そこで役立てたのが時間の管理してやる方法です。
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リビングの見やすいところに勉強のボードを置いてありますから、次に何をすべきかは常に示された状態になっています。だから、まだ予定が残っているのに勉強をなかなか始めないときには、今日の分は終わったのかを聞きます。それならば、実質的には「勉強しなさい」と言っているようなものですが、一枚オブラートに包んでいますから案外聞き入れてくれます。
習慣化する
時間管理の発展ですが、勉強はルーティン化して習慣になればなるほど、始めるときのハードルが下がります。習慣化すると、その開始時間も自然と固定化していくし、学習時間も決まってきます。いわば楽な勉強なので、自主的に始めてくれる確率も高いのです。そういう学習をスタート時に組み込んでおくことは、勉強することを促す手間も少なくて済むし、親子間の摩擦も小さくなります。
自主性割合を高くしていく
自主性のある子は天才とみなそうと言いつつも、やはり自主性はつけていく方向に進まないといけません。当然ながら、親が付きっきりで面倒を見るわけにいきません。それに100%管理なんてしていたら、親も子も疲れ果ててしまいます。そして何より、いずれは親離れ子離れしないといけないのです。どこまで口を出すのかは、ご家庭ごとだったり子供1人1人の性格に合わせたりと様々ですが、ここまでという線引きをして子供の自主性に任せる部分は必要だと思います。
息子の場合は、高2ではっきりと勉強のペースが鈍りました。そこまでは順調だっただけに、勉強するよう促すかどうかで葛藤させられました。でも最終的には息子の自主性に賭けるしかありませんでした。そこまで大人に近づくと、言ったところでどうせ聞いてはくれません。道理を説いて、あとは見守るのみです。
そんな時期を経て、ちょっと苦しみながらも何とか無事に大学に入り、今はどうなっているかというと、親が勉強のことで口出しすることは皆無です。それでも自分から進んで勉強しています。それも受験期の倍以上やっています。勉強が必要というのもありますし、なにより医学は楽しいようです。自主性100%になってくれたのですから、子育ては結果オーライと言って良いでしょう。
まとめ
- 「勉強しなさい」と言ってもおそらく大した効果はない。
- 世間一般は親が「勉強しなさい」ということにはどちらかというと否定的。
- 効果が薄いと知っていながらも、親は子に「勉強しなさい」と言わずにいられないのは、親から子への愛情の一つの形だから。
- 自主性の高い子は天才のようなものと割り切ることも必要。
- 「勉強しなさい」と直接的には言わず、予定通り消化できているか聞くなどして、少しでも婉曲的にする方が聞いてもらえる。
- 勉強を習慣化できれば、親が口出しする必要性を減らせる。
- それでも最後は自主性にも頼る部分は出てくる。全部見てやることはできないし、将来を考えるとすべきではない。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
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