絶好調だった高1時代から一転、スランプに陥った高2時代。かろうじて成績は維持できているものの高2とは思えない勉強量のまま、いよいよ受験生となる高校3年生になろうとしていました。
インデックス
建て直しを図った春休み
息子もこのままでは成績下降は必至と思ったのか、高3になる前の春休みはやっと気合いを入れて勉強する気になってくれました。私が勉強管理していた高1まで使用していた時間割ボードを持ち出し、自分で予定を組んでやってみようと考えたようです。
とは言っても、完全に自力でやったわけではありません。これまた久しぶりに私に助言を求めてきたので、やるべき参考書や問題集をネットで調べて調達したりしました。もうすぐ受験生になる息子の役に立てるのはうれしいものです。
息子自ら決めて臨んだテーマは、来るべき本格的な受験期に備え、長い時間勉強をすることでした。目標は1日10時間。これまでには経験したことのない時間です。受験期は15〜18時間やったなどという話をまれに目にします。そこまではいかなくとも、ここで長時間勉強を経験しておくことは、必ず役に立つだろうという判断でした。
幸いなことに息子は長く机に向かえる性格だったようで、10時間学習は問題なくこなせました。それでも1日12時間を越えるとなかなか大変だそうです。これはその後の受験直前まで変わらず、最大でも13時間でした。18時間ってどうやって捻出するんでしょうね。
長時間勉強というテーマも含め、高2時代の不調を多少ではありますが取り返すこともでき、結果的に春休みはうまくいったと言えます。高3への準備運動には十分でした。
予期せぬ誤算
高3になった早々に、思ってもいなかったが発生しました。息子が学級委員長に任命されたのです。高2まではムードメーカー的な生徒がそれを務めていましたが、担任が何を思ったか、突如として息子を抜擢してしまいました。担任の思惑としては、成績の良い息子をトップに据えることで受験体勢の引き締めを図ったのでしょう。ただし、これは悪手だったと思います。
なぜなら息子は誰からも慕われるような性格ではなく、自ら先頭を切って表に出ることを好みませんでした。そのため、これまでに仲間内以外ではリーダーシップを発揮してきた経験がなかったからです。こんな理由ですから、担任が望んだような成果は期待薄です。
しかも、実は表面化していなかっただけで、高2時代のスランプにより、息子の成績下降は水面下で始まっていたはずです。そのため、リーダーシップのみならず学力面でもクラスを引っ張っていく資格は薄れていたと思われます。しかし、担任を始めとして、そのことに誰も気付いていなかったのは皮肉でした。
もちろん息子にとっても学級委員長は重荷でした。慣れないストレスに襲われていた様子で、夕方学校から帰ってくるといつも疲れて寝ていたようです。当然、勉強時間は削られることになります。せっかく春休みにうまく助走できていたのに、完全なる誤算です。
ただし、このときの経験は後に大いに生かされることになります。まずは医学部を受験するときの面接において、非常に役に立つ材料となりました。また、大学進学後はチームを組んで実験をする機会なども多いですが、積極的にリーダーシップを発揮していけるようになりました。「人間万事塞翁が馬」の故事の通り、何が不幸で何が幸いなのかは簡単には判らないものです。
やっぱり天才かも
想定外の事態が起こり、せっかく春休みに立て直した体勢が崩れてしまいました。高3生だというのに、平日の勉強時間は2時間もありません。これでは受験生の勉強量とは言えません。そろそろ脳天をハンマーで打たれるようなショックを受けてくれないと、完全に貯金を使い果たしてしまうでしょう。
一方で、受験までの残り9ヶ月くらいを何とか貯金でやりくりできないものかと考えたりもしました。息子は実は天才で、あの程度の勉強でも最後まで乗り切ってくれるのではという淡い希望も、完全には捨てきれなかったのです。
そんな中で久しぶりに模試がありました。全統マーク模試です。ここで息子は申し分のない点数を取ってしまいました。
高3の前半ですからセンター対策はしていませんし、倫理政経もまだ全く仕上がっていません。それでこの点数でしたから、ちょっとした驚きでした。本当に天才じゃないかと。
しかしこれは実はマグレでした。その証拠に、この後に受けたセンター形式の模試、過去問等でこの点数を超えたことは1度もありません。こんなところで運をつかってしまったようです。このことは本当に残念でした。というもの、センター本番であと1〜2問取れていれば、また違った運命に(2択まで絞った3問が全て外れました。)しかしもちろんそれも含めての実力です。そうそううまい話はないんですね。
ついに馬脚をあらわす
そしてとうとう来るべきときがやってきました。6月に受けた駿台全国模試の結果が思わしくなかったのです。
これくらいだと東大理ⅠはかろうじてB判定でしたが、首都圏の国公立医学部は概ねC〜D判定になってしまいます。(理Ⅲに至っては当然E判定。ここで完全に理Ⅲ断念。)
この頃はどちらかというと東大の方を重視したようですから、その点では最悪の結果ではありません。しかしついに、息子は天才ではないという事実を突きつけられました。どうやら最後まで逃げきりというわけにはいかないようです。
確かにショックはありました。ただ、タイムリミットギリギリで間に合った、ここで判ってよかった、という安堵の気持ちもまたありました。まだ夏休み前でしたし現役だから、まだまだ伸び代もあるはずです。きっと切り替えてやってくれるだろうと楽観的に見ていました。
まだ余裕があったのは夏休み前までで、ここから先は怒濤のジェットコースターのような本格的受験生活に突入することになります。
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