2020/12/10 加筆修正 リンク追加
高3の秋になっても息子は志望校を決めかねていました。東大(理科Ⅰ類)にするか国公立医学部にするかで悩んでいたからです。最終的な決断をしたのは秋どころか冬にさしかかる頃で、時間がかかり過ぎました。
もっともっと実力があれば東大理科Ⅲ類を受けられたのでしょうが、とてもそこまでのチャレンジ精神はありません。やはり理科Ⅰ類か国医の2択です。
志望校は早めに決めた方が対策も立てられるし気持ちも盛り上げていけます。早ければ早いほど有利です。そんな利点を放棄してまでも、息子はギリギリまで悩んでいました。
結局医学部を受けることに決めたのですが、その決断までの経緯を振り返っていきます。
※なお、当記事において単に「東大」とある場合は理科Ⅰ類と考えてください。理科Ⅲ類の場合は必ずその旨を付け加えます。
親の希望
子供の将来は親が決めるものではありません。私たち夫婦も息子に強制することはないように、ということは生まれる前からずっと話し合ってきました。とはいえどもそれは建前に過ぎず、私も妻もそれぞれが息子に対する希望は持っていました。決して強制や命令はしないけれども、各々の希望の方向に誘導することは、話し合ってはいないものの暗黙の了解としていたと思います。
妻は息子に医者になってもらいたかった
父親が医師である妻およびその実家は、息子が小さい頃から(もしかしたら生まれる前から)医師になってもらいたがっていることは明白でした。医者の家族として物心両面で恵まれた生活を経験しているのですから当然と言えます。
ただし、医者の待遇は妻の父(義父)の全盛時に比べれば低下しています。数が増えたことで収入は減っている一方、訴訟等のリスクは増えました。その分権威は弱まっています。そのような時代の移り変わりは妻も理解しています。妻はそれでもなお医者という職業の魅力は衰えていないと譲りません。ある程度見知った道を歩んでほしいという気持ちももちろんあったでしょう。
親が医者ならその子供は、かなり広範囲のあらゆる人々から医者になることを期待されます。それもごく自然に、当たり前のように期待されます。息子の場合は医者の孫ですからそれほどでもありませんが、一定の期待があったことは事実です。しかしながら義父は既に引退しており、継ぐべき病院などはありません。
息子には好きなことを職業にしてほしかった
一方父親である私は、学力が足りているという理由だけで何の覚悟もなく医学部に進む世間の流れに抵抗がありました。命を預かる以上、一般的な職業よりも強い使命感・責任感・倫理観を持つべきで、その覚悟を持った上でなりたいと切望している人間こそが医師という職業にふさわしいという思いがあったからです。やや理想論に偏っている嫌いがありますが、一応正論だと思います。
もしかしたら、先述した医師の家系だと医師になることが決められているような世襲の風潮への抵抗感があったのかもしれません。
職業は最初から決められているものではなく自分で見つけるべきで、「好きなこと、やりたいことを生業とすることが最上」というのが私が息子にずっと言ってきたことでした。1つの理想として考えていたのが研究職や専門職です。息子は小さい頃から地道な作業も好きでしたから向いているかも、と思ってきました。
小さい頃に科学博物館等に足しげく通ったのも、何か好きなことを見つけてくれたらという願望からでした。
そうは言っても医者になることに反対していたわけではありません。妻から見ると、私は医学部反対に見えたようですが、それは行き過ぎた見方です。息子が望むならば反対する理由はありません。
それどころか本心では、やりたいことが見つけられないならば医師を目指すのも大いに結構と考えていました。医者になれるのであれば、親としてはなんだかんだで万々歳です。まだまだ平均収入も高く、なってしまえば失敗の確率が低い。結婚できる率も非常に高い。文句があろうはずもありません。
当然ですが医者の仕事に抵抗がなければ、という条件です。さすがに嫌々やるのでは、命に関わる職業をあまりにも冒涜しています。ストレスも溜まります。
要するに、好きなこと・やりたいことを見つけてその方向に進むのが最善で、医学部は次善策というのが私の息子に対する要望でした。
家族間の会話は多かったので、当然ながら息子は両親の希望や考え方は知っていました。ただし進路決定にあたっては本人の意志を最大限尊重すると話してきたので、必ず自分の意志で決めるようにも言ってきました。結局自分で決めた道でないと、挫折する可能性が高くなります。息子には自身で納得できる人生を送ってもらいたかったのです。
息子の決断
息子が高1のときには、工学系にひとつ、理学系にひとつ、やりたいことを見つけていました。そしてそれらと並行して医学部というのは漠然と頭にあったようです。母親(妻)の長年に渡るキャンペーンが奏功しています。
その後、高3の1学期には工学系と医学部に絞られました。東大理科Ⅰ類かの国公立医学部(東大理Ⅲ以外)の2択ということになります。この頃にはどちらかというと工学系志向が強かったはずです。そのことは、夏の東大模試は申し込んでいて医学部模試は申し込んでいなかったことからも見て取れます。
高3の夏休みが終わって秋になりました。防衛医大の申し込みの時期です。東大の良い練習になるという理由で受験することに。この防衛医大一次試験の1週間後、さらにはその1週間後にも秋の東大模試があり、そちらも同時期に申し込んでいましたから、この時点でもどちらかといえば東大が第一志望だったようです。
ところが、この防医受験が結果的に息子の運命を分けることになりました。一次試験合格後の二次試験で面接があるのですが、そのベースとなる事前提出の面接シートに志望動機など書く際、初めて真剣に医師という職業に向き合ったそうです。むしろその時まで本気で考えたことがなかったことに驚きましたが。
よくよく話を聞いてみると、医師になるには崇高な志がないといけないと私が言ってきたことが高いハードルだったようでした。自分の志望動機はそこまで立派じゃないから目指してはいけないかと考えていたようです。私が足枷をつけていたようで、ちょっと申し訳ない気持ちになりました。しかし良い方に考えれば、それを乗り越えて医師を目指そうというのですから、自分で決意した感も強く、結果オーライです。
その当時の息子の言い分は次の通りです。「もう一方の志望であった工学系には確かに興味はある。しかし、将来的に希望する研究ができるかわからないこと、研究ができたとしても研究者の待遇がどうなのか不明なこと、仮に研究が報われなくても没頭し続けられるほどその分野が好きだという自信がないこと。それらの不安が拭いきれず踏ん切りがつかない。それならば、興味の度合いは今の時点ではやや劣るが、ずっと関心はあり続けた医学の道の方が収入等も安定している分良いのではないか。」
いささか消極的ではありますが、現実的な選択です。息子の決断を尊重すると決めていましたし、妻はもちろん実は私の希望通りでもあります。反対する理由はありません。かくしてセンター試験まで残り1ヶ月という12月半ば、やっと医学部を目指すという結論に達したのでした。
ギリギリまで悩み抜くことができた要因
普通の受験生ならばもっと早く、せいぜい夏休みくらいには志望が固まっているものだと思います。それを冬になるまで悩むことができたのは、夏休みに受けた東大模試の結果が良かったことが大きな要因になっています。
1学期に受けた駿台全国模試の結果が振るわなかったので期待してはいなかったのですが、ふたを開けてみると2回の東大模試の結果は理科Ⅰ類でA判定とB判定。(駿台と河合のどちらが良かったのかは、データが残っていないので不明です。ごめんなさい。)これで気を良くしたこともあって、防衛医大入試を受ける気になったのでした。
東大模試は本番さながらの実践形式です。東大志望者の多くが受験するため、模試の結果は信頼性が高いとも聞いていました。その模試でA判定が出たことは高く評価できます。受験した夏休みの時点で過去問(赤本)にはまったく手を着けていなかったことも大きな自信になりました。
これまでにも各種模試で東大A判定は何度も出ていました。それはそれで立派だとは思いますが、しょせん前座。受験年度にA判定が出なければ価値は薄れます。高3で東大A判定を出すことは中学入学時に立てた大きな目標のひとつでしたから、満足感もひとしおでした。そしてこれならばさすがに合格圏内だろうと安心できました。
東大模試の結果により、東大理科Ⅰ類ならばまぁ大丈夫だろうと余裕を持てたことが、ギリギリまで医学部にするかどうかを迷うことを可能にしました。そして先述したとおり、防衛医大の2次試験後に最終的な決断へと至るのです。
秋の東大模試の結果
蛇足ではありますが、医学部受験決断とほぼ同時期に、秋の東大模試の結果が出ました。結論から言えば駿台・河合塾ともに理科Ⅰ類A判定でした。駿台のものを上げておきます。
↑それにしても点数は低いです。こんな点数でA判定出るんですね。国語なんてひどすぎて目も当てられません。実際の東大理科I類の合格最低点から見ても、ちょっと模試が難しすぎるのは間違いありません。
このときも東大の過去問には手を着けていません。秋は防衛医大受験等で余裕がなかったからです。過去問対策なしでこの結果なら合格可能性はかなり高いです。東大ならセンター試験は楽で、ここから過去問をしっかりやれば良いだけから、残り3ヶ月弱の受験生活も楽じゃないか、とは言ってみました。それでももう医学部を受ける決心は堅いようでした。
自分で進路を決断したのは良かったのですが、ここまでギリギリだと当然その反動はあります。それは1ヶ月後に迫ったセンター試験です。東大と違って医学部ではセンターの重要度が格段に高く、これまで軽視していただけに心配です。とりあえずどこを受けるかはセンター次第。それまでは全力でセンターの対策することになります。
最後に
息子は大学入学後しばらくは、自分が医学部に来ていいんだろうかという負い目を引きずっていたようです。
ただし、そんなものはすぐに吹っ飛びました。ろくに勉強もせずに遊んでいる学生があまりにも多かったからです。頑張って勉強している自分の方がずっとマシだと気づくと同時に、医学への興味も深くなってきたようでした。
今は自分に医者という職業は向いているようだ、と楽しくやっています。
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