「まだ言ってもわからない」その通りだが⋯
子供のしつけはいつから始めるかについての意見は様々です。悩みどころのひとつは、言われたことを子供が理解できるかという点ではないでしょうか。それは「まだ言ってもわからない」という言葉を実際に街で耳にする機会があることからわかります。そういうことを言う親の多くは放任主義で、子供を自由にさせているような気がしますが・・
この「まだ言ってもわからない」という言葉が、正にしつけをいつするかの大きな分かれ目です。そこでまずは私の結論から。まだ理解できないうちから、親が正しいと思うことは積極的に話して聞かせる。これが大事だと信じています。
一貫したしつけをする
子供が親から話を聞いたときにはまだ何のことだか全然わからなくても、おそらく何かが頭に刻まれていきます。ましてやしつけともなると何度も繰り返すことになりますから、確実に脳内に蓄積されていくものがあるはずです。子供の頭は急速に進歩していて、言語能力は日々増進していきます。やがてある時点で、これまで蓄積してきたものがつながってきて、親から何を言われていたのかまでも理解する時が来るのではないか、というのが私と妻が支持する考え方です。
その考え方からすると、「まだ言ってもわからない」と好き勝手させておいて、あるときそろそろわかるかなと判断して急に注意し始めたらどうでしょう。子供からすれば、これまでは何もとがめられなかったことを叱られるのですから、混乱してしまいます。許されていたことが突然禁止される。大人でもこれは納得できかねます。子供にとっても同様で、親に対する信頼が揺らぐきっかけになってしまいかねません。
我が家ではそのリスクを回避し一貫したしつけができるよう、子供が理解しているかどうかは問わず、語り続けていく方針となりました。
生まれたときから準備を始める
まだ理解できない内からということですから、極端に言えば、始める時期は生まれたときからでいいのではないでしょうか。本当のところ、いつごろ赤ちゃんの脳に言葉の種が発芽するのか全くわかりません。だからひたすら将来のための準備、ということになります。
我が家では生まれる以前の胎児のときから母親である妻が、「今日も元気だね」、「外の世界は楽しいよ」など、いろいろと語りかけていたのが思い出されます。生まれて数日後の病院で、まだ生まれたてでシワシワの息子に妻が話す姿を見て、看護師さんが「お母さんがたくさんお話していいですね。」とおっしゃいました。たぶん私がいないときもいっぱい話しかけていたのでしょう。母子同室でしたから、起きているときは何かと話していたようです。
息子が家にやってきてからは私もどんどん話しました。おはよう、おやすみ、いただきます、ありがとうといった挨拶は欠かしませんし、お世話をするときも何か動作をするたびに実況しつつ話しかけていました。「足上げるね」とか「頭にお湯かけるよ」とか逐一言葉にします。絵本の読み聞かせもしましたし、図鑑を見せて説明もしました。散歩に出ては車だ電車だと教えたものです。
良かったのは、たくさん話しかけることについての私と妻の意見があったことと、そもそも2人とも子供の相手をするのが好きだったことです。義務でやらないといけなかったら、とても続かなかったことでしょう。
赤ちゃん言葉
私は話すときに赤ちゃん言葉を使いませんでした。一個人として尊重することで、子供だからと低く見ないようにするための私なりの工夫です。赤ちゃん言葉にすると、どこかで普通の言葉遣いに変えないといけません。それを防ぎ、一貫性を持って接しようという気持ちの表れだったと思います。赤ちゃん言葉が気恥ずかしかったという気持ちもありました。一方、妻はというと赤ちゃん言葉をバンバン使っていました。そこは意見のすり合わせをせずとも、自分の信じるようにすればよいと思っています。
しつけが必要な状況の具体例
チャイルドシート
赤ちゃんでも絶対に妥協してはいけないのが命に関わる場合です。典型例がチャイルドシートです。法規制もあり、ダメなものはダメで、この件でかわいそうと言わないようにすると決めましたから、泣こうがわめこうが構わずシートに縛り付けました。その内に慣れておとなしくなります。息子のときは乗るたびに泣く時間が減っていき(あきらめて寝るようになった)、気がつけば泣かなくなっていました。もしずっと泣き続けていても、何ヶ月でも何年でも我慢するつもりでした。
もちろん「チャイルドシートは絶対に乗らないといけないんだよ。」とか「かわいそうだけど、絶対に外してやれないよ。」などと言い聞かせてはいました。でも、シートが必要な時期はあまりに赤ちゃん過ぎてさすがに理解できませんし、理解できる頃にはチャイルドシートが不要になってしまいます。だから長い目で見ることはできず、その場で絶対強制せざるを得ない稀なケースです。
公共の場で迷惑かけない
車はしょせん密室ですから他人に迷惑はかかりませんが、公共の場でうるさくすることには苦労しました。大変だったのは、赤ちゃん特有の高い悲鳴のような声を出したときです。これまで出したことのない声が楽しかったのかよくやっていました。このときは、そんな声を出してはダメ、他の人に迷惑がかかることはダメ、こういうところ(公の場所)で騒いではダメ、とダメ出ししながら外に連れ出したものです。ずっと言い聞かせながら静かになるまで戻ってきません。戻ってもまた騒いだら、外に連れ出す順番を変わって抱っこして退場です。
こちらは結構時間がかかったと記憶しています。元来おとなしい性格ではなく、チャカチャカした動きを止めない子供でしたから仕方ありません。うるさくなっては外に連れ出す行動は、言葉をしゃべり始める頃まで1年以上続きました。
それがいつの間にかおとなしくなっていました。赤ちゃん時代はじっと座っていることが得意ではなく、足を突っ張って立とうとしたり、とにかくよく動いていたのが、気がつくときちんと座れるようになっていたのです。その後歩けるようになってからも、ファミレス等でうるさくしたり、勝手にうろうろしたことはありません。
じっとできるようになったのと活発にしゃべるようになった時期が近かったので、私達は言い聞かせ続けてきた効果が出たと信じています。
気をつけたこと
怒らない
気をつけたのは、怒らないようにしたことです。それこそ善悪についてわかっているはずがないので、怒って言う必要はまだありません。怒りはしませんでしたが、嫌な気持ちは乗せるようにしました。「ダメ」というときは、本当にやめてほしいという気持ちで言っていたものです。その気持ちはいずれ必ず伝わります。
ほめる
当たり前ですが、良いことをしたら褒めました。ありがとうも大安売りでドンドン言いました。特に、注意したことやお願いしたことができたときには、ある程度大きくなるまではスキンシップもしながら大げさなくらい喜ぶ姿を見せてきたと思います。褒められるのが嫌いな人間はいません。
結果
言葉をしゃべり始めるずっと前からいろいろと話しかけ、ダメなことはダメと言い聞かせ、やって欲しいことはお願いして育てました。それがどれくらい功を奏したかはハッキリしません。ただ、言葉は早い方でしたし、物心ついてからはしつけ面で苦労した記憶がないくらいですから、私達夫婦は上手く子育てできたと振り返ることができます。おそらく、異常に気難しい子ではなかったでしょうし、良い子でいるのが好きな性格でしたから、楽だった面は否めません。もっとも、もっと面倒な子供だったとしても、私達の方針は同じだったでしょう。そして何より子育て自体が大好きでしたから、そんなに大失敗することもなかっただろうね、と話しています。
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