今回は、日本では詰め込み教育をやめて久しいのに思考力が育っていない、という話です。
思い返せば、昔の試験ははっきりと記憶力重視でした。私が受験生だった30年ほど前は記憶力全盛期で、特に私立大学では重箱の隅をつつくような、憶えていないとどうしようもない問題がたくさん出題されたものです。
それが時代は変わり、表面上は思考力を求められるようになりました。それに伴い、記憶力の占める割合は確実に減少しています。
約30年前は受験競争が非常に苛烈だったのですが、主原因は子供の人数が多いことでした。倍率10倍なんて言うのはごく普通でしたから。ただあまりに過酷だったので判断力が鈍ったのか、その原因を記憶力偏重に求めたように見えました。そこに『大事なのは思考力』という思想がうまい具合に加わることで大きな流れになりました。
しかし思考力重視の時代が到来して20年以上経ちますが、日本人の思考力が飛躍的に伸びたとは思えません。むしろ、劣化したとすら思えるほどです。さらに言えば、憶える量をかなり削った弊害で学力は低下しているでしょう。
一時期ゆとり教育という最も減らした時代もありましたが、その後も私の時代とは比較にならないくらい少ないです。せめて、適切な思考力をつける方法が採られていれば良いのですが、学習内容が減っただけで、そのような方向には行っていません。
思考力について国が文科省がどういう方針を持ち、どう導いていきたいのか。おそらくこれといったビジョンがないのでしょう。教育が迷走しているのは、国民にとってたいへん不幸なことです。
国語の授業でもっと要約させるとか、文章を山ほど書かせまくるとか、算数で頭を使わせるとか、考える力を育む方法はたくさんあるはずですが、学校での実践は難しいんでしょうか。
こんなことではまだ記憶力を鍛えておく方がいくらかマシでした。記憶力までも低下してしまっては思考力にも影響がでてしまいます。それは記憶力がないと思考が広がらず、単純な思考しかできなくなるからです。行き過ぎた記憶偏重は確かに問題でしたが、記憶力すらない人が思考に優れているはずもないのです。
この先学校で憶えることが増えることはないでしょうが、考える学習を確立できないのであれば詰め込み復活の方が今よりずっといいでしょう。
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