今回は、将来も記憶力が不要になることはないというお話をしたいと思います。
思考力重視の風潮の中、もう記憶力は廃れてしまうのか。そんなことはないだろう、ということは社会で活躍している多くの人はよくご存じでしょう。少なくとも全く記憶力が必要なくなるなんてことはありえないと思います。
いちいち調べる人を信用できるのか?
記憶力が軽視されるようになった大きな理由はパソコン・スマホ等記憶媒体の発達でしょう。いまや大概のことはウェブで検索すればわかります。さらにスマホなら場所も選びません。もう憶えておく必要もないと感じるかもしれません。
でも現実を思い出して想像してください。例えば病院に行って診察を受けていて、医師に質問をしたとき、即答してくれるのといちいち調べるのとではどちらが信用できるでしょう。簡単に答えてもらえると期待する質問に即答してくれないのは不安材料になります。もちろん細かいことを調べてくれるのは誠実という場合もありますが、何でもかんでも調べるのでは実力を疑ってしまいます。
営業の場合はもっと顕著です。説明やプレゼンをしていてお客様から質問を受けたとき、すぐに答えられるかは仕事の成否に関わります。記憶していなかったとしても、自然な会話の中で流れるように調べて回答しないといけません。どうすれば質問の答えにたどり着けるかの手順を憶えておく必要があります。それでも全てを記憶しておくに越したことはなく、憶えているということは理解の深さにも繋がっているものです。
そのように理解と記憶は関連深く必要不可分です。理解力は思考力の構成要素ですが、理解力が高いから記憶力も上がるということが言えます。だから思考力の方が大事という話になるのでしょうが、記憶力の方を鍛えて後に思考力を伸ばすということもできるはずです。昔の人はそうしてきたのですから。
知識は人生を豊かにする
幸い、博識の人に対して尊敬の念を抱く空気はなくなってはいません。東大のクイズ王がもてはやされているのが証拠です。東大まで行って何をしているのかという批判もわかりますが、世間に知の素晴らしさを伝えている点は結構なことです。実際クイズ王にはしゃべりも立派な人がいます。知識だけの使えない人間なんてそんなには多くないんじゃないでしょうか。
だから知識は教養としてどんどん憶えればいいと思います。いろいろ知っているだけでも十分に尊いことだし人生か楽しくなります。それをベースに思考力も伸びやすくなるはずです。知識も考える力もないよりは、せめて記憶力だけでも高めておくと将来思考力も伸びる可能性があるというものです。
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